日本の教育の在り方を理解する
ここでは、小論文トレンドテーマである現代社会の「日本教育問題」について解説をしていきます。
教育を取り巻く環境は、時代を重ねる度に変化していきます。現代は価値観の多様化によって、社会のルールやマナーを守ろうとする「規範意識」が低下してきているのも事実として、一つの問題になっています。そのため、共通意識を統一した形で教育することができる機関として、学校教育に、国民の期待値が上昇傾向にあることは確かです。
しかし、現実はどうかというと、そうは上手くいっておりません。学校側は国際化への対応や、AIの有効活用、不登校児童・生徒対処など、多方面に渡る要求に応えきることができず、煩雑とした状況です。また、教育者である「教師」は、今まで以上に多い情報量を整理することに精一杯で、必要量生徒対応に時間を当てることすら厳しくなっています。
このような教育の問題に迫るための必須な知識と、記述する際の切り口をここで解説していきます。
教育問題で問われる内容
教育問題がテーマの場合、どのような問われ方をするのかということが気になりますね。その問われ方は色々と異なってはきますが、基本的に以下の内容を、自分なりに解答することができれば、だいたいのテーマに答えることができます。
② 学校と家庭における教育
③ 教育とは何か(本質)
上記の内容に、自らの意見を論理的な形で表現することが出来れば、どんな問題が来ても対応が可能です。なぜなら、これらは「教育問題」における本質的な内容であり、これを理解することが、教育の本質から理解することができているのと同様なことだからです。
小論文作成においては、諸問題に対する、ある程度の本質的理解が欠かせません。
例えば、「人間はどうあるべきか」と問われた時に、人間の本質を理解していないと、それについて語ることができませんよね。ここでいう本質とは人間が持っている「道徳心」や「倫理観」のことを示します。
このように、まずは本質理解に努め、その後具体的な対策を理解していくのが、小論文テーマ理解のためには、非常に大切な手順です。
上記に述べた①「今後の教育の在り方」②「学校と家庭における教育」③「教育とは何か」についての理解を深めるために、次に説明する内容を熟知しましょう。
日本教育が歩んできた道のり
現代の日本教育について深い認識をするためには、まず教育の歴史を知らなければなりません。現代日本の教育がどのようにして生み出されたのかを簡単に確認していきましょう!
日本の教育の原点となる思想は「すべての人間が平等に生きることができる環境をつくること」です。これは聖徳太子が抱いた思想とされていますが、教育に関する具体的書物などは残されておりません。彼の教育思想である「一乗思想」がこういった原点を導いたものと思われます。
教育制度が初めて確立されたのは、701年「大宝律令」によるものです。中国の国子監制度から持ち込まれたものであり、4学科(経書・算術・音道・書道)を学びました。また、この時期から専門的な技術者の養成なども行われ、有能な人間(家系的なもの)には特別寮に入ることを許し、そこに収容して、教育を受けさせるような、今で言う「学生寮」みたいなものが生まれました。
平安時代になると、家での学びが重視されるようになり、こういった大学寮は消滅することになりました。鎌倉時代に移り、貴族の地位低下に伴って、学問の担い手は僧が台頭するようになります。中でも有名なのが、「五山文学」です。五山文学とは鎌倉時代から室町時代にかけて行われた「漢文学」のことを言います。また、鎌倉時代末からは、武家社会が確率し始め、その後進のために、学校の整備を整えました。さらに、上杉憲実が「足利学校」を再興し、当時の中心的な学校と考えられました。
江戸時代に入ると、教育機関という区分は存在せず、幕府側に特定された人物が研究に勤しむようになりました。幕府体制が安定期に入ると、儒学、古典研究や自然科学の研究が発展し、自由な人間性の追及が行われると同時に、芸能分野も盛んさを増していきました。現在の政治的な教育はこの「儒学」が元祖だと言っても過言ではないでしょう。「儒学」の影響から、人々の生活を合理的にとらえ、より実証的な学問が芽生えました。また、国文学についても研究が盛んに行われ、万葉集の研究なども進んでいきました。
幕末では、幕府の財政難などによる相続の危うさから、教育改革を断行せざるを得なくなり、塾を設立して子孫の教育を行います。また、庶民のために寺子屋を開設。これが日本における学校制度の元祖となります。
明治に入り、維新と文明開化から、教育は更に進展していきます。この時代の有名な教育者といえばすぐにでてくるのが「福沢諭吉」ですね。こういった学問に対する思想が様々な人間により提唱されることで、日本の教育は一気に変革されていきました。改革に伴って、義務教育や女子教育制度が設立され、自由主義的な傾向から中央集権・国家主義的な傾向へと方向性が転換していきます。しかし、こういった傾向には、言わずもがな反動が起こります。1920年頃から大正自由教育運動により、個性の尊重を目指す教育へとシフトチェンジしていくことになります。教育の充実から、日本社会をより良い方向へ導くため、数々の研究者を海外から派遣し、世界的水準をもって、学を深めていきます。それはやがて格差を生み出し、社会主義思想を生み出す結果となります。
昭和に入り、第二次世界大戦が起こります。日本はアメリカに敗北し、日本国土は大規模な復旧作業を余儀なくされます。また、今までの国の政治を変え、「民主的で平和な国」を目指すために、教育の機会均等と男女共学を原則とし、自由主義教育が導入されました。さらに1946年(昭和21年)には、日本国憲法が公布され、教育を受ける権利や子女教育の義務、義務教育の無償化、国による宗教教育の禁止、公の支配に属さない教育に対する公金支出の禁止などが定められました。1947年(昭和22年)に学校教育法、教育基本法を公布し、ここで始めて現在における「小学校・中学校・高等学校・大学」の定義が定まりました。
激動の昭和が終わり、平成に入ると「生きる力」を尊重した教育が重視され、ゆとり教育・受験戦争などの現在問題となっている教育システムへの確立が成されました。現在は、科学技術に伴う教育革命の時代となっており、「生きる力」の在り方の変化や、キャリア教育、グローバル教育の推進を積極的に行っている様子です。
日本教育の原点「古典探究」から始まり、現在に至るということになりますね!
現在でも「総合的な学習の時間」が「総合的な探究の時間」に変わるなど、時代を経ても、人間としての資質能力で要するものに大差がなにのも事実ということが分かります。
海外の教育システム
日本教育の歴史がこのような変遷を辿ってきたことは分かりました。次は、日本の教育の在り方を知るためにも、海外の教育システムを知りましょう!
【中国の教育】
中国の義務教育は6歳から始まり9年間就学しなければなりません。学校制度に関しては基本的に日本と同じで、「6・3・3・4制度」を採用しております。
中国では、多文化国なだけあって、貧富の差が激しいことで有名ですね。中国の人口は日本のおおよそ10倍に至りますが、人口の多さからも考えられるように、都心部とそうでない農村部においての格差が激しいものと思われます。教育においても、その差は歴然で、アメリカスタンフォード大学の研究では、中国都市部の高等学校進学者は9割を超え農村部では6割以上が高等学校に進学しないという結果が出ております。これはまさに地域によって、教育の質が変わってきているものだということがわかります。
下記に日本とは違う中国の教育内容について示します!
・学歴主義
・飛び級制度有り
・高等学校における男女間交際は禁止
・軍事的な活動がある
・学習量の違い
・外国語教育の取り組み方が日本よりはるかに上
・スパルタ教育
私達が持つ中国のイメージはどのようなものでしょうか。机に向かって、黙々と勉強をしている中国人が目に浮かびます。彼らは、「学歴がないと後の人生にとって、大きな痛手となる」という考え方が当たり前であり、その心構えが脳裏に焼きついているからです。そういった教育が幼少期の頃から成されているため、中国人は学習に関して非常に熱心です。
日本も、このような教育の在り方で今まではやってきた一面があります。しかし、現在は「個性の尊重」を最重要視し、生徒1人1人の「自由」を謳っております。この考え方の違いは日本の教育の在り方として理解しておかなければならないことでしょう。
これは、私が教員時代の実体験の話ですが、私が初年度担任になった時のクラス生徒に小学5年生まで中国にいた女の子がいました。その子に「なぜ日本にきたの?」と聞いたところ、「中国は教育システムが固まっていて、あまり自由に勉強することができない。それと比べて、日本は全く自由に勉強ができると聞いたから来ました」と言いました。その子は後に某有名大学に進学し、現在は貿易関係の仕事に就職したいと頑張っているそうです。
こういった点からも、学校そのものの環境がまった違うのです。
【アメリカの教育】
アメリカは私達が持つ印象通り、「自由な国」です。そのため、教育活動も「個性を尊重した教育」が確立されています。6歳~7歳で義務教育機関に入り、期間は12年間。その後に、いわゆるカレッジ(大学)へ入学をし、その学びを深めていきます。自由を謳う国なだけあって、ルール(決まりごと)などへの交渉余地があり、日本とは違った教育制度です。
下記に日本とは違う中国の教育内容について示します。
・学費が高い
・ルールなどの決まりを交渉できる
・地域(州や地区)によって、学校制度が変わる
・選択科目の幅が広い
・日本より自由
おおまかにこのような違いが見られます。アメリカは総合大学など充実した施設や研究科目があるため、留学先として大変な人気を誇っています。
日本は第二次世界大戦後、アメリカを模倣とした教育システムを構築させてきました。現在の自由を求める社会システムも、アメリカに倣ったものです。
しかし、日本がアメリカに近づこうとしても、その距離はある一定のままで、完全にアメリカらしい教育をすることはできていません。もちろんこれには、日本文化における風潮や、日本人の特徴が作用しているものではありますが、このままアメリカを模倣とした教育システムの構築を促していくべきなのかは検討事項となりそうですね。
【ドイツの教育】
職業学校が多いことで有名なドイツですが、どのような教育をしているのでしょうか。
まず、教科の力の入れ具合も変わってきます。日本の小学校では、国語・算数・理科・社会・外国語があり、主要三教科と言われる「国語・算数・外国語」には特に力を注いでおりますが、原則として全ての教科抜かりなく学習を行っていきます。
しかし、ドイツでは「国語・算数」が中心となっており、社会や理科という教科概念がありません。そして、外国語に関しては、英語のみならず、第二外国語を学ぶこともできます。さらに、ドイツ教育では、ある意味小学校を起点として人生を左右するといっても過言ではありません。なぜなら、基礎学校(小学校)卒業後の進路では、
② 専門職・事務職に進む道
③ 大学に入る道
と分岐されるからです。(どの道に進んでも義務教育期間のため、学校には通います)
①の道に進む人は、基幹学校という普通の中学校に入学をします。ドイツの基礎学校(小学校)は主に4年制のため、日本で言う小学4年生の際にこの選択を迫られるのです。基幹学校に進学した人は基本的に職人の道に進む人が多いと言われています。また、総合大学・専門上級学校や専門大学に進学する資格を得ることはできません。
②の道に進む人は、中等実科学校&中等商科学校に進みます。6年制のカリキュラムを経た後に「専門上級学校」「専門大学」に入学する資格を得ることができます。しかし、総合大学への道はこの時点で閉ざされてしまいます。
③の道に進む人は、「ギジナジウム」に進んだ人間のみです。カリキュラムは9年制で、総合大学に入るために必要な「アビトゥーア」という試験を受けることができます。総合大学に入るためには必須の試験なのですが、センター試験のように、毎年受けることなどはできず、1回の試験で生涯に渡って入れる大学が限られてしまいます。しかし、この「アビトゥーア」は一生有効なため、就職してから大学に入ることなども可能です。
小学4年生で、人生の大半である仕事社会における自らの役割を決定させなければいけないなんて、、、やや大袈裟な表現にはなりますが、日本におけるキャリア教育はドイツのそれとは雲泥の差があるということですね。ドイツ人は、幼い頃から自分の進路について、考えていかなければならない環境に置かれています。そのため、職業観が日本人とはまた違うものにあります。
ドイツの義務教育期間は基本的に6~7歳から始まり、9年間です。連邦国家になるため、各州によって修学期間などは異なります。小学校から高等学校卒業までの12年間で、1年生から12年生と呼ぶのもドイツの特徴と言えるでしょう。
また、飛び級や落第があるため、年齢と学年はばらばらです。
下記に日本とは違う中国の教育内容について示します。
・落第がある(義務教育期間から)
・完全キャリア教育・社会・理科に力を入れていない
・外国語は第二外国語まで学べる
・小学校のときにある程度、進路が決まってくる
三カ国を例に挙げてみましたが、どの国も特徴があって面白いですね。
日本の教育と比べてみて、その差には大きなものを感じるでしょう。決して日本が悪いといっているわけではなく、グローバル化していく世の中で、日本の教育が今後実っていくことを考えると、今のままではいけないですね。。。
私自身も、カナダ留学の際、日本人学生と外国人とのコミュニケーションのギャップや、授業を受ける姿勢などには度肝を抜かれた思いがあります。
これらは必ずしも文化的な背景のみならず、教育の在り方にも起因しているのだろうと感じました。
日本の教育が世界に通用したものになるのは、そこに抜本的な改革を施さなければならないと痛感しています。
家庭教育の問題
現在各学校は、家庭との連携を密にすることを促されています。いわば、学校と家庭が協力をして、子供達の未来を明るいものにすることが提唱されているのです。しかし、こうした家庭との連携も上手くいっているとは言い難い状況が事実です。家庭が関連する教育問題で一番に挙がってくる内容は、教育格差なのではないでしょうか。
教育格差
教育格差とは、親の所得の格差によって、学力格差や教育機関の格差が生じることです。
例えば、私立学校にいけるだけのお金がある家とそうでない家。大学受験のために予備校に通うことができる家とそうでない家など、所得の問題で子供達の学力に大きな差が生まれてしまっているのです。これらならまだしも、子供は勉強をしたいのに、勉強をする環境を与えることができない家庭環境などもあります。
こういった子供達は、中学で卒業してすぐに働き手となります。日本の資本制度では、まだまだこのような学歴のない人に対する配慮は見られず、低所得者となります。低所得者から生まれてきた子供達は、さらにその後を追っていくという、負のスパイラルに陥るのです。この再生産については、現在日本で非常に深刻な問題となっております。
また、シングルマザーと呼ばれる片親の子供達も増えてきており、家庭での教育問題は後を絶ちません。こういった教育格差や、学校でのいじめによる問題で、「不登校児」が増えているのが現状です。
不登校児
不登校児とは、文部科学省の定義によると、
先ほども述べましたが、不登校児はこの少子化の時代にも関わらず増えています。
こういった不登校児を救うためにも現在「フリースクール」という受け皿機関が登場しました。フリースクールとは自由で独創的な教育を行うため、既存の学校教育に満足のいかない子供達には重要な選択肢となっています。
しかし、ここでの問題は、正規学校としての認可を得ていないため、卒業しても学校の卒業資格が得られないところにあります。そのため、高校卒業程度認定試験合格のためのサポートがあったりと、近年では様々な取り組みを行っています。
いじめ
いじめによる問題は、特に家庭と学校が連携をしていかなければならない問題です。文部科学省は2007年にその定義を見直しました、以下は内容です。
「いじめか否かの判断は、いじめられた子どもの立場に立って行うよう徹底させる」
つまり、全主導権はいじめられた本人にあるということです。最近では、対面式のいじめ自体全体的に減少傾向にあります。しかし、SNSやLINE、カメラを使用した無断盗撮などは上昇傾向にあり、以前とは質の異なるいじめが展開されている模様です。
さらに、いじめられた子どもは、その事実を周囲に言うことができなくなっており、自らを閉ざしてしまいます。日本では、そういった現状から、スクールカウンセラーが全公立中学校に配置されるようになりました。フリースクールやカウンセラーの配置により、不登校児でも復学につなげられるような取り組みを日本の教育機関はしっかりと行っていますね!
しかし、このような取り組みの先に考えなければならないのは、やはり不登校にならないための対策です。不登校になってしまう原因を追究し、防ぐすべを見つけなければこの問題が解決されたことにはならないでしょう。家庭教育における問題は、社会的にみてもおおきな問題として取りあげることができますね。教育における問題点は、改めて学校と家庭が協力をすることで解決が見込めると認識することができます。
また、教育格差について、家庭ではどうしようもないところもあります。確かに、両親の学歴や教養の有無が、子どもに大きな影響を与えることは事実です。しかし、問題となるのは、そうした子どもの背景をその後の学校教育で一向に解消することができない点にあると私は感じます。
学校に行く理由として、「その子どもの社会的背景や出自を取り払って、平等な世界においてその身を養っていくことができる」ことが挙げられます。格差による教育問題は、確かに深刻かもしれないけれど、だからこそ本質的な意味において、学校が必要なのではないかと思います。
現在文部科学省が問題視している日本の教育問題
そもそも文部科学省は学校教育の目的をどのように定めているのでしょうか。
文科省が定義する教育の目的
このように目的を定義付けています。つまり、国民の人格形成を、社会に貢献できる人材に育て上げるという目的の元で教育を行っていくということです。しかし、現在日本では「キャリア教育」への取り組みに力を入れ始めたこともあり、文科省の設定している目的である「国家・社会の形成者の育成」があまりできていないように感じているのは事実ですね。然るべき「職業観」を身につけられていない人間が多いのは、日本の教育問題の一つですね。
先ほどのドイツの例ではないですが、キャリア教育が充実していないのは、学校が閉鎖的な空間であるためです。もっとも学校を社会に開放することができるようになれば、適切な職業観つまりキャリア教育を施すことができるでしょう。
子どもの学力と学習環境
文科省ではこのように述べています。
「基礎的・基本的な知識・技能を身につける」とありますが、これははるか昔から言われていることです。重要なのは「自ら学び自ら考える力」です。現在の学習指導要領では、この力を重視した内容になってきています。
具体的な例としては、「総合の時間」です。今ままでは「総合的な学習の時間」だったのが「総合的な探究の時間」に変わりました。これは、今後必要になってくる力が今までの知識偏重ではなく、思考力・判断力・表現力を問うものに変わってくるからです。大学入試改革においても、この内容が影響していることは間違いありません。
子どもの心身的な問題
子どもの心身的な問題については、その大きな起因として、スマートフォンの普及や、両親の共働きによる孤立感などが挙げられます。世の中が「主体的・協働的」という二つの資質を求めているのに対して、日本の現状はその逆へ向かっていると言わざるを得ない状況です。この相反している問題は、国が長い目で検討していかなければならないことでしょう。
他にもありますが、大きな観点として3つの内容を取りあげました。
今後日本教育に必要となってくる要素
必要となってくる要素は
② 主体性・多様性・協働性を養う教育
③ グローバル化に対応できる力の育成
④ アクティブラーニング授業
⑤ 高大連携
⑥ キャリア教育の充実
⑦ 思考力・判断力・表現力の育成・・・etc
今後日本は、グローバリズムの影響やICTの活用などにより、さらに多様な教育をしていかなければなりません。
しかし、現実はほとんど動けずにいる様子です。それもそのはず、「グローバル化」「ICT教育」「アクティブラーニング」「高大連携」などなど、国が推進していることを現場で実践している先生方は大変です。今までやってきたことがほとんど覆され、完全に新しいことに取り組もうとしているわけですから、大変に決まっているのです。周りにいる先生方は疲弊しきっているのが事実です・・・
この①~⑦の内容に関しては別の記事で解説をしていきたいと思います。
まとめ
日本教育が現在どのような立場にあるのか、その輪郭部分だけでも掴んでいただけたでしょうか?
入試小論文では、こういった日本の教育問題について、根本的な内容を踏まえて記述させることが多いです。
上記には「ゆとり教育」「ICT教育」についてなど、まだまだ細かいことについての内容には触れられておりません。しかし、最低限知っておかなければならない知識は詰め込みましたので、基礎知識としてご活用ください。
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