近年の小論文トレンドテーマ「環境問題」の本質に迫る!
ここでは、近年の小論文トレンドテーマである「環境問題」について、その本質的な内容を解説していきます。
あくまで本質的な内容に迫ることが目的のため、現在の環境問題はそこまで深入りしませんが、環境問題を語るためには、まず本質を知らなければなりません!
環境問題に対する内容の切り口
環境問題は、非常に身近な内容から起こる問題です。
私達人間の行動一つ一つには、実に多くの環境破壊につながっていることはご存じでしょうか?
例えば、お盆期間にプールに行ったとします。そこで、あまりの日差しの強さを目の当たりにして、皆さんは何をしますか?
プールには入りたいし、お気に入りの水着を着たいと思っている人は、きっと「日焼け止め」を塗って、日差し対策をすると思います。
「これで日差しの問題は解決!」
ではないのです。
「日焼け止め」をしてプールに入るのは「水質汚染」につながります。
なぜなら、汚染されたプールの水は最終的に「海」に流されます。結果として、海の水質汚染を招き、海洋生物に大きなダメージを与えるからです。
また、ペットボトルなども、大気汚染の原因になります。
毎回自動販売機でペットボトル飲料を購入し、飲んだら捨てている人。実は環境破壊の源となっています。
このように、小論文テーマとして「環境問題」に出くわした際は、きっと、その切り口として、
身近な環境破壊の源となる人間の行動
について語らなくてはならないでしょう。
つまり、
「自分たちがどのように自然と向き合っていかなければならないのか」
というある意味究極の内容を問われるということです。
ですから、環境問題を語る際は、人間の本質や、環境破壊につながる原因、過去と現在を把握していなければなりませんね。
次に、自然破壊につながる原因の最たる内容である「近代科学」について解説します。
環境問題の本質「近代科学の登場」
環境問題で一番の原因となるのは、やはり「近代科学」によるものでしょう。近代科学は人々の暮らしを豊かにしてくれたものの、その温床として、環境破壊をもたらしています。
参考 国際連合広報センター「32.気候変動に対する解決策の模索」
気候変動はグローバルな解決策を要するグローバルな問題です。国連は科学の現状を検証し、政治的な解決策を作り上げることを先頭に立って進めてきました。2,000人の優秀な気候変動科学者が参加する「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」は、5年または6年に1回、包括的な評価報告書を発表していますが、2007年の報告書では、気候変動が実際に発生しており、しかもその主因が人間の活動にあることは明らかだとの結論が出されました。
この参考文章を見てみると、「環境問題」は明らかに「科学」「人間の活動」と述べられています。
そもそも、近代科学は17世紀以降の「自然科学」のことを指します。
自然科学:自然現象から普遍的な法則を明らかにする学問。
この17世紀は「科学革命」が起こった時代であり、近代科学の黎明期として位置づけられます。
例として、ニュートンの力学の確立などが挙がりますが、これらはその後の世の中に画期的影響を与えるとともに、①機械論的自然観を生み出します。
①機械論的自然観とは、自然や身体を機械の部品のように見なす自然観のことです。
例えば、心臓をポンプとし、血管はチューブみたいな感じです。
そして、機械論的自然観のもとで、②「要素還元主義」や③「数学的処理」という特徴が生まれます。
②「要素還元主義」とは、物体や物質を機械のパーツのように、細かく分類すればするほど、的確な知識が得られるという考え方です。
③「数学的処理」とは、自然を数学的な法則で捉えることを指します。
近代科学の特徴として挙げた「機械論的自然観」「要素還元主義」「数学的処理」の三つは、自然を法則化してとらえているため、現代に様々な問題をもたらしました。
環境破壊・遺伝子組み換え・遺伝子治療・臓器移植など。
近代科学の発現
では、17世紀に科学革命が起き、近代科学が成り立ったと言われていますが、実はこれには語弊があります。実際に科学者として、科学の学問が誕生したのは、19世紀頃からです。科学を科学として「科学者」としてその研究に努めるようになったのです、
では、当時の「科学者」と呼ばれる人達は何を研究していたのでしょうか。
それは「哲学」です。
哲学とは、「答えのない不変的な問いの答えを求める学問」です。
当時活躍したニュートンやガリレイなどは、「哲学者」だったということになります。
もちろん、現代の研究目的とも変わってきます。現代のような、「暮らしの便利さ」を求めた研究ではなく、当時の「哲学者達」は、「神の法則を暴く」ための研究でした。
世の中に混沌と存在するもの、すなわち「神が創造した秩序」には、必ず法則があるはずだという探求心から、近代科学は生まれたのです。
科学技術を需要している人間の心理
現在私たちは環境破壊の源ともいえる科学技術をいとも簡単に受け入れています。むしろそれは肯定的とも思えるほどです。新しい技術を求めれば求めるほど、環境破壊につながるということは、蚊帳の外にあるみたいです。
では、なぜこのように人々は私達の暮らしに欠かせない「自然環境」を二の次にしてしまうのでしょうか。
そこにはデカルトの提唱した「物心二元論」があります。彼は、「身体と精神は別のものである」と定義した人物です。人間は他の動物とは違い、「精神」があり、その延長で「実体(身体)」が存在すると述べました。
つまり、主観以外の全てを対象化して捉え、それを分析・検証・総合という形で構築するという確固とした方法論を生み出したのです。
近年の近代科学はこのデカルトの方法を実施に適用したことは有名です。
自然を対象化し、分析・計測・観察・検証をし、自然の様々な法則を見出しました。
しかし、それを逆手にとり、自然を利用し、制服するという近代の自然科学文明が構築されたのです。
自然を征服いわば、人類が主人公という考えは、現代の私達にも根付いてしまっています。ごみの廃棄・CO2の多量排出・放射性物質の拡散など、目に余るほどの環境汚染を、
「環境保全に努めなければ」
「地球温暖化を防ごう」
などと言って行動している人は、実際人口の1%にも満たないでしょう。
やはり、人間が一番という人間中心主義の考えがそこにはあるからです。
この人間中心主義的、あるいは近代科学的な考え方を改めないと、これからの環境破壊問題を改善していくことはできません。
環境問題を解決するために大切なこと
環境問題を解決するために大切なことは、「環境倫理」を持つことです。
環境倫理:環境とのかかわりの中で人間の生き方を考えること。
環境倫理は「環境倫理学」です。行き過ぎた科学技術の開発による環境破壊、産業化がもたらす問題から人間の生き方を問う学問です。
環境倫理の基本的な主張は下記の三つです。
①世代間倫理
②地球有限主義
③自然の生存権
これらの三つは、近代的な考えとは対立したものとなっています。
①は進歩主義と対立し②は成長至上主義。③は人間中心主義と対立しますね。
環境問題は、近代科学の負の遺産としての代表例です。そのため、小論文で環境を扱う際には、環境倫理の基本的な主張を知っておくことで、非常に書きやすくなるでしょう。
まとめ
いかがでしたか?
環境問題は現在深刻さを増すばかりです。
しかし、そこには人間のエゴが働いており、そのエゴがどのようにして環境破壊につながっているのか。
あまり、他のサイトでは本質的な内容は書かれていませんでしたので、今回は「環境問題の本質」をテーマに解説をしていきました。
「人間」が本当の意味で「環境を守る」ためには、科学の現状と進歩を見つめなおさなければなりません。
また、科学技術が発展すればするほど、人間のエゴは増幅していきます。
小論文で「環境問題」がテーマになった場合、
「人間」
「科学」
「環境」
をひとまとめにして説明すると、とても説得力のある文章に仕上がるはずです。
今回記事にした「環境問題」については、今後さらに現代に結びつけた内容を述べていきたいと思いますので、お楽しみに!